真夏の果実






阿部に電話を切られて、俺はその場に立ち尽くしていた。
阿部が言い放った言葉が、何度も繰り返し頭の中でリピートされていた。


確かに田島は今の俺にとって、ヒーローだった。
かつて同じグラウンドに立っていた、それが俺の誇りにもなっていた。
でも、誇りにするしかなかったのだ。

才能が対等でない相手と対等な気持ちでいることは周りが思っているよりもずっと難しい。
気持ちだけは勝たなきゃいけないはずなのに、田島の野球を見せ付けられるたびにそれは困難なことに変わっていく。
それでも高校3年間、俺は食いついていけていた。
どんなに差を見せ付けられても、田島を追い越したいって本気で思っていた。
それが出来たのは同じグラウンドで野球をしていたからだと思う。

でも、田島がプロへ入り、俺も野球から遠ざかった。
そんな舞台がまるで違う相手をライバルだなんてもう俺は思えなかったのだ。
次第に田島はやっぱりすごい奴だ、ライバルなんて思っていたのが思い上がりなんだ、と過去の自分を否定した。
否定することで、田島を神聖化することで自分のプライドを守っていたのだ。
小さな、小さな自分のプライドを、必死で守っていたのだ。


遠ざかったのは田島じゃなかった。
離れていったのは、俺の方だったんだ。

6年経ってそれにようやく気づいた。
情けなくて、心臓がじりじり焼けるようだった。

俺はずっと逃げていたのだ。
田島と本当に向かい合うことすらせずに、ただ逃げていたんだ。



俺はクローゼットから、田島の色が濃い思い出の品を詰めてあるダンボールを取り出した。
それをひとつひとつ手に取る。
田島の気持ちが知りたかった。
あの頃の俺の気持ちをちゃんと思い出したかった。

高校3年の時に3年だけで撮った写真。
当たり前のように俺の隣には田島が並んでいる。
写真の裏にはメンバー全員の落書きがあった。
みんなの落書きを見ながら、田島の字をそっと撫でた。

「花井大好き!!」

高校生の田島はそうだったなと思い出す。
口を開けば、好き、愛してる、そういう言葉ばっかりだった。
まっすぐにアイツはぶつかってきてくれていたのに。

田島に落書きされているノートを取り出した。
これは1年の頃のだ。

ページをぱらぱらめくると、ページの右下に田島の書いたパラパラ漫画があった。
それは本当に落書きで田島が転がしたボールが転がっていくものだった。
ぱらぱらぱらぱらページを捲る。
ボールは転がって、転がって、転がって、最後に俺の足元に届いた。
田島が描いた俺の似顔絵はすごく似ていなくて、でも、笑顔だった。
そして最後のページには相合傘が描かれてあった。
どのノートにも一番最後のページには絶対相合傘が描かれていた。

ダンボールからはユニフォームも出てきた。
それを手に取った瞬間に、さすがに堪え切れなかった涙が溢れた。

「たじま、」

呟いた声は静まり返った室内に悲しく響いた。


やっぱり田島だけだと思った。
こんなに、こんなに俺の胸を焦がすことが出来るのは田島だけだ。
他の誰も田島の代わりになんてなれない。

例えもう間に合わなくても、この気持ちだけは一生変わらない。
もう逃げ出したくない、一生背負っていきたい。
一生、田島を好きでいたい。
田島が誰と結ばれようと、それでも俺は一生アイツを好きでいよう。
どんなにそれが苦しくとも、その痛みすら愛せるようになろう。

それが俺にとっては幸せなことなんだと思えた。






もう空が少しずつ明るくなってきていた。
時計を見て時間を確認すると、俺は財布と携帯を持って家を出た。

目指したのは空港だった。

竹下さんから何時の便か聞いていてよかったと思った。
電車に揺られながら、俺は竹下さんのことを考えていた。

俺と彼女の関係は、少し他人行儀の感じが抜けていなかった。
だから野球の話をしていないのに、向こうがそれを持ち出してくることは少し違和感があったのだ。
でもそれは、あまり何も語ろうとしない俺に、不安になったからじゃないかと思う。
いつまで経っても田島から離れられず、目の前の彼女をちゃんと見ていなかったことに気付いていたのだろう。
それでも何ヶ月も待っていてくれていたのに。
そんな優しい彼女を傷つけるのは躊躇う。
でも、もう田島以外の人を愛することは無理なんだと悟ったのだ。



空港の到着ロビーに着いて、時計を見る。
彼女が到着するまではまだ時間があった。
少しだけ離れたところで俺は立って待っていた。

しばらくして、彼女が手荷物受取所を通って出てきた。

俺が合図をする前に彼女は俺に気付き、一瞬足を止めて驚いた顔をした。
そして次の瞬間に、悲しそうに笑ったのだ。

人の邪魔にならないように、壁際で2人で並んで立っていた。

俺は何から切り出そうか、どのように伝えればいいのか、どうしても最初の一言が口から出てこなかった。
缶コーヒーを両手で持ちながら、彼女はぼうっと遠くを見ていた。

「行くんですね」

ぼそりと小さく呟かれた声に俺は「はい」と答えた。

「メールとか電話でよかったのに、わざわざこうやって来てくれなくても」
「ちゃんと顔を見て伝えたかったんです」

俺がそう言うと彼女は俺の目をしっかり見て言った。

「別れをですか?」
「感謝をです」

俺がそう言うと彼女はふふっと笑った。

「竹下さんのおかげで自分の本当の気持ちがわかりました」
「どうせなら最後まで気付いて欲しくなかったんですけれど、やっぱり無理だったんですね」
「無理でした。やっぱり、一生に一度なんです」

俺がそう言うと竹下さんは柔らかく笑った。

「あたしには無理だったけれど、花井さんなら掴めるかも知れない。どうかその人と幸せになってくださいね」
「竹下さんも、どうかお元気で、」

俺がそう言うと竹下さんは「はい」と笑った。

俺は一度お辞儀をしてその場から立ち去った。
竹下さんは最後まで涙を見せなかった。
どうか彼女がいつの日か幸せになれることを俺は心の中で祈った。



他の誰を傷つけても、見失えないものがあるんだ。

田島、今、お前に会いに行くよ。
俺が思ってること全部ぶつけに行くよ。


俺はタクシーを止めて乗り込んだ。








>>12話