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かなしみの色を知ってる 昼間はまるでこの世界を恨んでいるかのように太陽が光を注ぎ続け、就職活動の為に着てきたシャツが汗で濡れて肌に張り付いた。 西日になるとまるで業火のように空が燃えて、ビルの向こう側にようやく姿が消えてしまう頃に帰路に着く。 白いシャツを着たたくさんの人が行きかう街並みで、俺も上手に溶け込めているのだろうか、と思う。 部屋の鍵を開けると玄関に見慣れた靴が一足あり、俺は「ただいま」と部屋の中に声を掛ける。 「おお、おかえり」 そうやって飲み物を取るついでに玄関に顔を向けたのは阿部で、俺はとても阿部の顔を直視できる気分ではなくて、「風呂入る」とだけ呟いてバスタオルや着替えをクローゼットから取り出すとすぐに風呂場に閉じこもった。 暑い夏でも水風呂で済ますことなんて出来ない俺は、換気扇をつけてから湯船にお湯を溜めだした。 お湯が湯船に溜まるのを目の端で確認して、鏡の中の自分の顔を見ていた。 冷静に、冷静に、なんて思いながら、けれど本当はとっくに冷静なのだと気付いていた。 体を洗ったあとに、お湯が溜まった湯船に浸かった。 じわじわと温かくなり、そして疲れも解けはじめているのに、頭の中はシンと冷たく静まり返っていた。 何度頭からお湯を被ろうが、考えは頭から離れてはくれず、むしろ余計悪化していくような気がする。 突然ドアをノックされて反射的に振り返ると、曇りガラスの向こうで阿部が立っていた。 「お前溺れてんじゃねーよな?」 その阿部の台詞を聞いて、長風呂派な俺がいつもより増して風呂場に閉じこもっていることに気付いた。 通りで指がふやけている気がするのか。 「もう出る」 「あっそ」 阿部はそれだけ呟いてまた部屋の方へ戻っていく。 それを見届けてから、俺は湯船から上がった。 部屋は冷房がきいていてとても涼しい。 俺は冷蔵庫から水を取り出してからソファの上に腰を降ろした。 自分の体重の分、ソファが沈む。 阿部はテーブルの上で履歴書を書いていた。 いつもよりずっと丁寧に文字を書く阿部をソファに座って後ろから眺めていた。 このままでいいのだろうか、とまた不安が過ぎる。 俺たちはいつまでこのままでいるつもりなのだろうか。 以前付き合っていた田島と阿部は全く種類の違う人間だった。 好きになった相手が同性だっただけだ、という甘ったれたことを思っていた俺は全てを田島の所為にしていた。 田島はそれに文句も言わずに花井がそう思うならそれでいいと言い、その言葉に甘えていた俺は最後まで全てを田島の所為にした。 いつでも被害者になれたし、田島はいつでも加害者の方に回ってくれていて、けれど、だからこそ最終的に俺は逃げたのだ。 逃げ道を用意されれば、簡単に相手を振り切って逃げてしまうほど俺は臆病だった。 けれど阿部は田島とは違った。 ひとつひとつの小さな決断を阿部は「お前が自分で決めたこと」だと言い、俺と阿部は「共犯者」なのだと言った。 阿部の隣にいる為にはそれ相応の覚悟が必要で、阿部は俺が覚悟を決めるのをいつも黙って真剣な目で見ていたからこっちも真剣にならざるを得なかった。 ひとつひとつは小さな決断だったけれど、振り返ってみればすごく大きなことを俺は自分で選んで決めていった。 けれど、けれど何ひとつ後悔していないのかと問われたら、全く後悔していないとは言い切れない。 無性に怖くなる時がある。 社会の中で自分が歯車になるのだと実感したり、ふたりきりの世界だけでは生きていけないことを痛感したりした時にふと怖くなる。 戻れるのなら戻るべきなのではないだろうか。 あの頃に、始まる前に戻るべきではないのだろうか。 そもそも若気の至りにするべきだったのではないだろうか。 たとえ、互いの気持ちがそう軽いものではなくても、若気の至りで終わらせるべきだったのだ。 間違いではないとしても、きっとそう正しくもないものなのだから。 そもそも、この関係はデメリットが多すぎるのだ。 メリットやデメリットで関係を考えるのもおかしな話だけれど、俺も阿部も沢山のものを失った気がする。 沢山のものと引き換えに手に入れたこの関係はそんなに大事なのだろうか。 今ではもうよく分からなくなっているのだ。 ぼーと床を眺めていたら突然名前を呼ばれた。 顔を上げるといつからこっちを見ていたのか、阿部と目が合う。 「余計なこと、考えんじゃねーよ」 阿部の言葉に俺は返事をしなかった。 こういうことを考えていることをどうしてもっと上手く隠せないのだろうかと俺は思う。 阿部は俺のことを俺以上によく知っているから俺の声の調子や表情だけで大抵の考えていることを読み取ってしまう。 俺がもっと嘘が上手だったなら、阿部がもっと鈍ければ、こんなに傷つけあうこともなかったはずなのに。 けれど俺は嘘が下手で、阿部はとても鋭い。これが現実なのだ。 「花井、」 阿部は俺の名前を呼び、俺は阿部から視線を逸らした。 阿部が俺を好きなことを知っている。 阿部は俺に対してとても真剣で、誰よりも厳しいけれど誰よりも甘やかしてくれているから俺は阿部を振り切れないのかもしれない。 俺を好きだと言う阿部に応えなければ、と思うことは実は愛でも何でもないのではないかと思い出すと自分の感情すら分からなくなる。 阿部の隣にいるためには何が必要で、何が不必要なのだろうか。 今までどんな気持ちで、どんな顔で阿部の側にいれたのだろうか。 単純だったはずのそれすら分からなくなって、最後には阿部の顔を直視できなくなるのだ。 もしかしなくても、いつでも迷ってばかりの俺を迷わずに愛するということはとてもかなしいことなのではないのだろうか。 実はこの関係はかなしみや苦しみ以外の何者でもないのではないだろうか。 「・・・テメェ、いい加減にしろよ」 返事をしない俺に苛立った阿部が立ち上がり、俺の胸倉を掴んでソファに押さえつけた。 乱暴な行為だったけれど、阿部の目はとても悲しげだった。 そして胸倉を掴んでいた手を緩めてから俺の肩口に顔を埋めて、「頼むよ、花井」と苦しそうな声で俺の名前を呼ぶ。 その時に首筋に暖かいものを感じて、それが阿部の涙だと分かると、俺はようやく本当のかなしみを思い出すのだ。 阿部の涙は透明で、だからこそかなしみの色を思い出せるのだ。 「阿部、ごめん」 そう呟いて阿部の髪を撫でれば、「わかればいいんだよ、」と阿部は顔を上げずに呟いて、今度は俺が泣いてしまいそうになった。 >>next *:*:* 4万打お礼小説アベハナ編です。 続き書いてしまいました。 DLFは終了しました! 2008/7/9/ 管理人 凛 |