相変わらず雨は降り続けていて、その曇天を見上げる。
授業中に生徒に問題を解かせている間にふっと蘇った言葉があった。

「花井は先生にならないの?」

幼くあどけない口調で尋ねてきた田島の言葉に花井は答えることが出来なかった。
そのまっすぐな瞳を見つめ続けることも出来ず、適当な言葉で誤魔化して、弁当を食べる田島を急かした。
田島はそんな花井の様子をまるで観察でもするかのようにじっと見つめ続けていてとても居心地が悪かった。
それでも嘘はつけなかった。

教師になるかどうか迷っているどころか、実は花井はもう就職先が決まっているのだ。
教師になる予定はないに等しく、今回の教育実習も単位を取るためと免許を取るためだけのものだった。
それでも「教師にならない」と言えなかったのはこうして実習で教壇に立ってみて、決心が揺らいでいるからだ。
それを田島に見透かされた気がした。




「はーなーい!」

先生とつけずに俺を呼び捨てにするのは教師を含めても田島以外いなかった。
授業をちゃんと終えていつものあの小さな部屋へ向かう途中に名前を呼ばれて振り向くとやはり田島が立っていて、ぱたぱたと花井に駆け寄ってくる。

「今から部活か?」

花井がそう尋ねると田島はうなずいた。

「でも今日はミーティングだけの日だからつまんねぇー」

田島がぷぅっと頬を膨らませる。
その頬を両手で押すと田島の口から「プッ」と音がした。

「そっか、ミーティングだけの日か、そういえばそういうのもあったな、」

懐かしい記憶を辿ってそう言うと、田島を追いかけて駆け寄ってきた泉が花井を見た。

「花井先生って元野球部?」
「まぁ、一応な」
「へぇ、じゃあ練習に顔出したらいいのに」

その泉の一言に田島が「そうだ!花井も来いよ!」と目をきらきらさせて言う。

「でも、もう現役じゃねーよ、練習についてけねぇって」

花井が困ったような顔でそう言っても、泉も田島も花井の話をもう聞いていなかった。

「よし、じゃあ一緒にいこう、な、花井」

田島は花井の持っていた教科書などを奪って、花井の手を掴む。

「え、ちょっと、」

泉は花井の背を押しながら歩き、いつの間に隣にきたのか、三橋も田島と反対側の手を取っていた。



3人を振り払えず、流れるままにたどり着いた野球部のミーティングに花井も参加することになった。

泉と田島が「元野球部なんだって」と花井を部員に紹介してくれて、花井はとりあえず田島の隣に腰を下ろした。
部員たちはくっちゃべりながら監督が来るのを待っている。
そこに緊張の気配は見当たらず、けれども花井は自分だけが異様に緊張しているのがよくわかっていた。

ガラっと教室のドアが開いて、長い髪の毛が見えた。
その瞬間、花井は勢いよく立ち上がった。
それは田島ですら驚く速さで、部員全員が花井に視線を集めた。

「あら、花井君!」

百枝は全く変わらない顔で笑って花井の名前を呼んだ。

「お久しぶりです」

ぺこりと頭を下げると百枝が近寄ってきて「ほんとに久しぶりね、元気にしていた?」と話しかけてくれる。
そして、そんな二人のやりとりを見ていた部員に「花井君はね、野球部設立時代の初代キャプテンだったのよ」と花井の肩を叩きながら花井を紹介してくれた。

「顔見せに来てくれて嬉しいわ、もちろん練習にも出てくれるわよね?」
「いや、俺、もう現役じゃないんで、見学でいいっす」
「・・・あら、でも走りこんでるみたいじゃない」

百枝はすっと花井の尻を撫でてそう言う。

「なっ、」

突然のその動きに花井が固まってると、百枝はすっと花井の傍を離れてパンパンっと大きく手を叩いた。

「ミーティング、始めるわよ!」

その声に部員は「お願いします」と大きな声で応えた。
花井は顔を真っ赤にしたまま、設立当初より数が3倍くらい増えている部員を従わせられる百枝を眺めていた。




ミーティングは1時間もせずに終わった。
花井はミーティングが終わると百枝と少し話をしてから自分の机がある部屋に戻った。
今日の授業の反省点などをノートに書き込んだり、明日の授業の準備をしていると、「キィ」とドアが開く音が耳に届く。
顔を上げて振り向くと、そこには田島が立っていた。

「田島、どうしたんだ?」

花井がそう声を掛けても田島は俯いて黙っている。

「今日は早く帰れる日だろ?雨がひどくなる前に帰りな」

朝から途切れず降り続けている雨は、ミーティングをしているときに少し激しくなったのだ。
花井も雨がひどくなる前に帰ろうと思っていたので、まだ校内に残っている田島にも帰宅を促す。

「…んな、」

田島が小さな声で何かを呟いた。

「え、何?」

花井が聞き返すと、田島は勢いよく顔を上げて花井の顔をじっと見た。

「花井はもう練習に来んな!」

田島はそれだけ言うと、花井が何か言うより先に部屋を出て行ってしまった。
バタバタバタと、田島の走り去る足音が廊下に響いている。

「どうしたんだ、あいつ」

花井は田島の態度の変わりように思わず首を傾げながら、田島の走り去った方向を眺めていた。





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